―好調時だからこそ、攻めの姿勢でさらに高い目標を設定したんですね。

飯塚裕 思い切った展開をするなら今かなと。その代表的な鯉が雪蓮です。

―ごっそり変えるとなると、それまでのデータが通用しない部分もあるわけですよね?

飯塚裕 そうです。でも、この鯉は何の子というのは全部わかっていますから、それに自家産のオスを掛けたり、大日さんの新しいメスを掛けたりして、そこから出た鯉をまた親に使うという流れです。成長の良い親の子を見つけるのが最重要なので。

―親鯉を刷新して、最初から良い結果は出ましたか?

飯塚裕 成長することに関しては良い子供が出ました。ただ、紅質や体型はまだまだだったので、それを改良していきながら今日に至っています。紅の感じがやっぱり大日さんは綺麗ですよね。ああいう紅をうちの紅白に乗せたいなと思ってやってきました。

―従来の松江紅白には満足できない部分があったわけですか。

飯塚裕 それはもちろんです。体型的なことや紅の感じにしても、「田舎臭さ」がなかなか抜けなくて。

―田舎臭さ……難しい表現ですね。

飯塚裕 「都会の魚」ではなかったんですよ。1腹から数匹ずつは出るんですが、それだけでは……。

―紅白はサイズにしても体にしてもどんどん良くなって、もう行き着いてしまっている印象があります。

飯塚裕 それをやったのが阪井さん、大日さん、桃太郎さんなどで、紅白のレベルがどんどん底上げされていって、確かにある程度のところまでは行き着いていると思います。だから自分たちも、どこから親を仕入れて、何と掛け合わせればいいんだろうって悩みましたよ。結局、考えてもなかなか想像がつかないから、自分たちですべてやるしかないと思うようになったんです。

―それで自家産の親鯉を作っていく方向に。

飯塚裕 そうしないと、いずれオスもメスも揃わなくなるだろうと。今年あたりから自家産の親がだいぶ増えてきていて、血筋的に全く噛んでいない腹が何パターンもできているので、それらをうまく掛け合わせながらベース作りをしています。

―血の離れたベースを作るのは、かなりの時間がかかるのでしょうね。

飯塚裕 かかりますよ。でも幸いうちには跡取りがいて、自分たちの代で終わりではないので、将来のことも考えると今やっておかないと彼らが困りますから。ベース作りにはそういう意味もあるんです。

―後継者がいるから、今すぐには完成しなくても将来につながればということですね。

飯塚裕 鯉で「完成」ということはないと思います。毎年生産していても、毎年課題が残ってシーズンが終わりますから。それで次の年、去年はああだったから今年はこういうふうにしてみようと思って、また新しい気持ちで生産するわけです。1匹の親から良い子が出るのは3年も続けば良くて、その先は率的にも内容的にもどんどん下がっていきます。今までの経験からすると、初腹でスパッと決めたときの鯉が一番良いんですよ。良い鯉が出たなというのはたいてい初腹です。

―2年目、3年目でそれを上回ることはなかなかない?

飯塚裕 そうですね。やっぱりちょっと出来が悪くなるし、3年も続ければいよいよ悪くなる。だから、そのときにメスが健在だったらオスを変えてみようとなるわけです。全日本で宮日出雄賞(写真①)をいただいた紅白も初腹の1本です。

宮日出雄賞は松江史上最高傑作

80部国魚賞は今後にも期待

―宮日出雄賞は、第53回の大会総合ノミネートの中の1本でした。どういう筋の魚なんでしょうか?

飯塚裕 あれは元々の古い筋で、「すずらん」の流れを引いている親に、村田さん(村田錦鯉センター)のオスを掛けたものです。なので、親を大きく変える前の鯉になります。

―一世代前ということですね。

飯塚裕 すずらんのあとに「いろは」などが続いていったんですが、いろはの出来が悪くなってきて、この先を考えると物足りないなというのが切り替えるタイミングになりました。そして、今年の全日本の80部国魚賞(写真②)は、親を新しくしてから出た鯉で受賞時は4歳です。

―前の世代と比べて変わったと思いますか。

飯塚裕 それはもう、体型的にも質感にしてもずいぶん変わりました。

②/第54回全日本総合錦鯉品評会 80部国魚賞

―国魚賞はどの親の子なんですか?

飯塚裕 あれは「MR–1」といって、2回だけ採ったのかな。MR–1は春花の子供の「しじみ」から出た鯉が親です。数は少なかったけど、国魚賞の兄弟筋はああいうタイプが多かったですね。当歳のときから絶対に綺麗になるだろうなと思っていました。2歳のときでも色は薄かったんですが、特別な飼育をしたわけではなく、鯉自身の力でどんどん綺麗になりました。2歳のときに社長(敬浩さん)が成田さんのR’sコレクションに持っていって。成田さんも80部であんな鯉になるとは思ってなかったんじゃないかな。途中からグーッと良くなったので。

―最近では宮日出雄賞と80部国魚賞が、松江さんの代表作ということになりますか。

飯塚裕 特に宮日出雄賞は、うちでは10年か15年に1本出るかどうかの鯉だと思います。すごく頑張ってくれた鯉で、松江の歴史の中でも最高傑作だと思っています。

―松江さんは全国で多くの賞を取っていますが、その中でも高評価で。

飯塚裕 我々が作った魚の中ではトップです。あそこまで夢を見させてくれた鯉はいなかったし。錦商さん(現・鯉道㈱)がうちでイベントをやったときの超目玉商品で売れた鯉でした。

―それは何歳で?

飯塚裕 2歳です。当時のうちとしては高い2歳だったんですが、それでも売れるという夢を与えてくれたし。いろんなことがあったんですよ。品評会の直前に白い膜をかぶっちゃって、餌もやれない状態になって、消毒の中につけたまま品評会場に持っていったり。結局そのときは痩せこけててダメで、もう1回飼い直した年が宮日出雄賞だったんです。あれは銘鯉ですよ。

―飼育はずっと松江さんで?

飯塚裕 最後の最後までうちの泉水にいました。2歳からずっと泉水で飼っていたんです。

―そして国魚賞はまだ5歳ですから、この先の楽しみがありますね。

飯塚裕 そうです。どんな夢を見させてくれるか……。

―国魚賞の兄弟で親として使っている鯉はいるんですか?

飯塚裕 まだいませんが、今後オス親などとして使用することになると思います。メスはあのタイプだと卵を出しにくいと思うので。

―それはどういった部分で判断を?

飯塚裕 経験上ですが、あのぐらい筋肉質だとあまり卵の量は多くないと思います。もうちょっとお腹が柔らかい感じだといいんだけど。逆に言えば、卵が少ないからあの体をキープできるというのもあると思います。