―大きいのだとどれぐらいになりますか。
瑛士 90㎝クラスはいます。なかなか90㎝以上というのは難しいですし、そこの技術と環境はまだまだ足りないところがあるので、今後頑張っていかないといけないところだとは思っています。
―丸筑紅白としてはどんな鯉を目指していますか?
健治 やっぱり鯉を見たときに丸筑の鯉だとわかるような鯉ですよね。なんて言っても質。紅質と白地の質が良くないと。模様はそこまで決まっていなくてもいいというか、今回の九州大会で全体総合を取った紅白を見ても模様は良くないほうですけど、あんまり模様が綺麗だと逆に何か足りないというかね。
私はどちらかでいうと模様で見せる鯉より、質で見せる鯉を作りたいです。あの紅白は本当に丸筑らしい鯉だと思いますし、あまり他の鯉屋にいないような鯉を作っていきたいです。
―紅白の影に隠れてしまっている昭和の出来はいかがですか。
瑛士 昭和のメスで長く使っているのは阪井系統で、それに右田さんが作った金峰山という右田ブランドの鯉をベース作ったオスを掛けています。うちの紅白が全体総合を取った29回の九州大会のときに、85部総合優勝(写真③)を取った昭和がいるんですけど、それの兄弟が現在のオス親のメインになっています。
―昭和にも様々な系統がありますが、右田さんの昭和と相性がいいわけですか。
瑛士 85部総合の昭和ができた年はものすごく当たり腹で、今4歳になるんですけど加温なしの飼育で80㎝を超えていますから。すごく墨が出ているわけでもなくまだ未完成な鯉でしたけど、頭の大きさと体型は抜群でした。品評会に出した次の年の夏に死んでしまったんですけど、その時には頭の墨が決まっていて、惜しい鯉でしたね。
健治 これが死んだときはかなりショックを受けました。最初は右田さんの鯉を探していたというよりか、私がお客さんのところでたまたま見つけて、これを親に使ったら面白そうだなと思った昭和が右田さんが作った鯉でした。
ですが初年度は2匹しか残らなかったので、だめかなと思って次の年は採らなかったんです。だけどその鯉を見ているとやっぱり良いわけですよね(笑)。それでオスを替えてもう一回採ってみたら当たったんですけど、その次の年はだめで。たまたま1年だけ当たった。
瑛士 数で言えば今年はちょっと少なかったですけど、昨年とかはしっかりできて、緋が飛んだ紅白の分を昭和がカバーしてくれて。
―以前は変わり鯉なども作っていましたよね。
瑛士 そうですね。毎年遊びで変わりを作っていたんですけど、遊ぶ余裕がなくなったというか(笑)。それで御三家に集中してやろうというところでここ2年は御三家のみを作っています。
(後編に続く)



