全日本総合錦鯉品評会50有余年の歴史から
後世に語り継ぎたい銘鯉 〈昭和三色編〉
文/児島徳昭(茶の美)
全日本錦鯉振興会の総合錦鯉品評会は、50年以上の長きにわたり今日まで開催されてきました。その間に、幾多の美しい錦鯉が多くの人々の記憶に刻まれ、心を満たしてきたことは改めて記すまでもありません。
その数え切れぬほどの美鯉たちの中で、時を経た今日でも、目にした人の脳裏に焼きついて離れない、突出した美を持つ銘鯉と呼ぶべき鯉がいます。品評会という晴れの舞台で輝いた、それぞれの時代を代表する鯉を、シリーズで品種別に取り上げたいと思います。

張りのある見事な体を持った、白地の栄える素晴らしい近代昭和で、当代きっての近代昭和の銘鯉との呼び声も高い。初めて世に姿を現した当時は、日本を代表する愛好家・藤田進氏の愛鯉であったが、3歳時に総合錦鯉品評会の会場で当代の名匠・間野實(先代の大日養鯉場代表)の目に留まり、大日の所有鯉となり1年間磨かれた後、佐藤氏の愛鯉となる。
バブル全盛期の当時、多くの愛好家のあこがれの的になったこの鯉。とある愛好家が所有することを熱望し、1億円が詰まったジュラルミンケースを持って氏を訪問し買いだそうとしたが、氏は、お金でこの鯉は手放さないと断ったという逸話も。バブル時代のよもやま話として語られたほどの、二度と手に入らぬ銘鯉であった。第26回全日鱗全体総合優勝、第23回全日本15部(80超部)国魚賞。
■作出者/㈱小西養鯉場・小西 丈治(広島県広島市)
■出品者/佐藤 庄三郎(大分)

当代の大日養鯉場の銘親鯉(国魚)の子であるこの鯉は早くから力を認められ、第41回全日本総合錦鯉品評会に4歳75㎝弱で姿を現し、昭和三色75部で優勝を得て、続く42回大会では5歳79㎝ながら大会総合優勝候補の1匹に選ばれた。そして翌年、6歳84㎝にて見事、第43回大会の大会総合優勝を勝ち得た銘鯉である。
所有者が2歳53㎝で入手したときから、年を追うごとに美と艶と体の豊かさ、張りを身にまといながら成長し、長きにわたり所有者を楽しませた魅力ある銘鯉であった。
■作出者/大日養鯉場㈱
間野 太、弘、茂(新潟県小千谷市)
■出品者/高木 實朗(福岡)

面迫養鯉場の長男が作出したこの昭和三色は、彼が大日養鯉場での修業を終えて実家に戻った年に初めて産卵させた大日昭和のメスに、大日の大番頭であった平澤隆氏が作出した平澤昭和のオスを交配させて作られた初腹の子であった。少し大きめの当歳に育てるため、できて間もない新ハウスで大切に育てられている姿を筆者が目にしたときには、すでにこの緋と墨の柄を呈していた。周りの兄弟鯉と比べて大きめで、当歳から紛れもなきカシラ鯉であった姿が忘れられない。筆者が購入希望を申し出た際も、初腹で自分の楽しみのために成長の姿を見てみたいから、販売はご勘弁をと断られたほどで、当歳から彼の期待の鯉であったことがうかがえる。
4歳で愛知の成田養魚園に嫁ぎ、同県の愛好家(野々垣英伸氏)の愛鯉となる。その後高木氏に渡り、第41回全日本で大魚総合優勝を受賞。大きな変化を遂げながら成長し、美しくなる鯉が多い昭和三色という品種において、これほど当歳の春から模様の変化がなく、立派な体に育ったことは特筆すべきで、貴重な銘鯉であることは間違いないと確信する。
■作出者/㈲面迫養鯉場・面迫 隆義(広島県呉市)
■出品者/高木 實朗(福岡)

近代昭和とはこの鯉のために生まれた言葉ではないかと思えるほどの、明るく力強い模様のコントラストと見事な体を持つ銘鯉であった。近代昭和の祖と言うべき鯉である。
白い肌に食い込むように現れた上質の墨、そして明るい緋盤。当時、まだ学生であった筆者は、この鯉を観たいがゆえに兵庫県の姫路まで電車に乗り、噂の鯉と豪快な所有者さんの御尊顔を拝した。精肉店、飲食など幅広い事業を展開し、大きな成功の道を歩まれた氏は、あずみパラダイスなる一大遊園地まで経営されていた。泳ぎ、遊ぶ遊園地のプールを改造し、錦鯉用の巨大な池となったプールの中に悠々と泳ぐこの鯉の姿を目にしたある人は、所有者のあまりの豪傑ぶりに驚きを隠せなかった。
■作出者/須田養魚場・須田 厚(新潟県小千谷市)
■出品者/安積 滋雄(兵庫)