ブリーダーズインタビュー 玉浦養魚場 玉浦浩二さん(広島)

墨を効かせた玉浦三色

42年の歩みは「コツコツと…」〈前編〉

 今年で創業55年を迎える広島県三原市の玉浦養魚場は、代名詞とも言える「玉浦三色」をはじめ、紅白や昭和が毎年のように全国大会上位に名を刻んでいる。近年の目覚ましい活躍の裏にはたくさんの苦悩があったというが、そこにはいつでも仲間の存在があったと話す。

 玉浦浩二さんの人柄が表れた、魅力あふれる鯉を紹介していくとともに、長年に渡ってそばで支えてきた日出美夫人と國則勇貴さんを交え、これまでの歩みについて話をうかがった。

22歳で専業として錦鯉の道に

国内活況で町内に80超の鯉屋も

―1992年8月号で「玉浦三色」を取り上げさせていただき、そこから32年が経過した現在では、若鯉品評会や幼魚品評会で国魚賞(写真①・②・③)を受賞されるなど、大正三色をはじめとした生産鯉が活躍を見せていますね。

玉浦 やはりみなさん三色をイメージする方が多いみたいですが、賞に入っているのは三色だけではないんですけどね(笑)。賞でみたら三色のほうが稀かもしれない。

―玉浦養魚場は父親の代から錦鯉の生産を行っていたと。

玉浦 親父がやっていたときは本業ではなかったですが、生産も少しだけやっていたので、大学の休みの日には手伝っていました。

―玉浦さんは何歳で錦鯉を始めたんですか?

玉浦 大学を卒業してからなので、22歳で始めて今年で42年になります。

―錦鯉の生産は本業ではなかったですが、それを自分の代で本業としてやっていこうという決意を?

玉浦 そうですね。自分は大学を卒業しても一般の会社に就職して、サラリーマンという感じではないと思っていましたから(笑)。ずっと家の手伝いをしながら鯉に対しても興味が湧いていたので、本業としてやっていこうと。

―自信があったわけですか。

玉浦 いや、全然ないですよ(笑)。正直これ大丈夫かなと。その頃は西と東が全く分かれているような感じで、交流があまりなかったんですよね。新潟は新潟、広島は広島みたいのがすごく強くて、とにかく情報が入らないんです。新潟に親鯉を買いに行ったりと個人的に交流はしていましたけど、今みたいな交流という感じではなかったし、新潟に行っても新潟から来ることはほとんどなかったですから。

①/第39回錦鯉全国若鯉品評会(2023)
28部国魚賞 紅白/渡部 浩
取扱/成田養魚園㈱ 取次/金太郎錦鯉㈱
②/第40回錦鯉全国若鯉品評会(2024)
58部国魚賞 大正三色/Benjamin Goh
取扱/成田養魚園㈱ 取次/Aka Koi Centre