対談 イカラシスポーツ・五十嵐 幸太さん×ヨコスカポンドメンテナンス錦鯉★翔・髙岡 翔さん
昔ながらの昭和で変化を楽しむ
血筋にこだわり綺麗な鯉を
神奈川県横須賀市の「ヨコスカポンドメンテナンス錦鯉★翔」が主催する「昭和三色を楽しむ会」。代表の髙岡さんが「成長による変化を楽しんでほしい」との思いでスタートさせた同会は、今年で5回目を迎える。この個性豊かな昭和三色の生産・管理を担うのが、新潟県長岡市栄町(旧栃尾市)の五十嵐幸太さんだ。名匠として知られる大日養鯉場㈱の故・間野實氏が作った鯉に魅了され、その門下で修業を積んだ五十嵐さん。現在は家業のスポーツ店を営む傍ら、幼少期に見た衝撃的な鯉を追い求め、理想の昭和三色作りに挑戦し続けている。そんな二人の出会いから生産への思い、そして「昭和三色を楽しむ会」に込めた意図について語り合ってもらった。
錦鯉との鮮烈な出会い
あの日見た鯉をあの手この手で
―五十嵐さんが作った昭和三色を使って髙岡さんが「昭和三色を楽しむ会」を開催されているそうですが、そもそもお二人の出会いというのは?
髙岡 自分が高校を卒業したぐらいの時に、ネット上で錦鯉が好きな人たちが集まれるように、ミクシィで「泳ぐ宝石錦鯉」というコミュニティを作ったんですけど、その時にお互い昭和が好きというところから知り合って仲良くなりました。
五十嵐 ネットで相手の顔も見えないし、どういった人かもよくわからないのに仲良くなって、実際会ってみたら⋯⋯(笑)
髙岡 (笑)。当初は会ったこともないから文章だけのやり取りだったんですけど、全日本の会場に来ていることを聞いて「なんでミクシィをやめてしまったんですかー」と幸太さんを壁ドンみたいに(笑)
五十嵐 やり取りをしているうちに、だんだん気持ち悪いやつだと思ったからやめちまえと(笑)
髙岡 それからの付き合いですよね。自分が成田さん(成田養魚園㈱)で1年弱働いて、当時は成田さんの野池の管理を幸太さんがされていたので、ずっと付き合いがありました。
―髙岡さんは成田さんで働かれていたんですね。高校を卒業してすぐに鯉の業界に入ったわけですか。
髙岡 卒業してから3年ぐらいは、スーパーのレジバイトをしていました。
―コミュニティを立ち上げるほど錦鯉が好きだったのになぜ他の道へ?
髙岡 単純に鯉が好きだから、鯉に携わる仕事がしたかったんですけど、昔お世話になった二塚錦鯉センター(神奈川)の大将(内田清次さん)に、鯉屋さんになりたいことを伝えたら「いきなりなるのはやめたほうがいい」とアドバイスをいただいて。大将ももともと鯉屋さんではなかったから、いきなり鯉業界に行くのではなく、まずは違うことをやってみて、本当にやりたいのかどうかを見極めてから、鯉業界に行ったほうがいいんじゃないのかということで。
小学4年生で大将のお店に行ってから、一時は鯉を全滅させて離れていたこともありましたが、中学の時に選別やら何やら色々学ばせていただいたことで、昭和三色の魅力に取り憑かれて今があります。
―そこで鯉の楽しさや奥深さを、幼心ながら知ることができたんですね。
髙岡 当時、日鱗の川岡さんという記者さんとミクシィで知り合いまして、自分は愛鱗会でもなんでもないのにひょんなことから愛好家取材を受けたんですよね。それをきっかけに、先代の成田隆三さんから声をかけていただき働かせてもらうことになり、たくさんのお客さんと出会っていろいろ学ばせてもらいました。
―五十嵐さんは大日養鯉場㈱で修業をされていたそうですが、どういった経緯で鯉に携わるようになったんですか?
五十嵐 当時まだ小さかったですけど、大日の先代の間野實さんが作った鯉を見た時に、すごい衝撃を受けたんです。その時の感動は一生忘れませんし、ここで鯉の仕事がしたいと強く思いました。
どのタイミングか記憶にないんですけど、小学生の時にはすでに鯉が好きで……多分親に洗脳されていたんでしょうね(笑)
髙岡 (笑)
―親父さんがすごく鯉が好きだったと?
五十嵐 そうですね。自分の親が錦鯉が好きで、子供のころから家には鯉がいましたし、兄弟がいなかったのでいつも親と一緒にいました。当時はこの栃尾でも趣味で鯉を飼っている人がたくさんいましたし、品評会も開催されていたので、いろいろなところに連れて行かれるうちに、だんだんと好きになっていったんだと思います。












