愛好家インタビュー 野﨑 昊太さん(新潟)

三色に惚れ鯉師目指す大学生
「地元生産者の系統を将来に」〈後編〉

 本誌のハガキに10代からお便りが来ることは稀で、住所が産地・新潟ということも相まって「どういった少年なんだろうか……」そんな気持ちを抱いていた最中、今年行われた第12回国際幼魚品評会のブースで出会ったのが野﨑昊太さんだった。
 「ゴールデンウィークに池をリニューアルするんです」。その言葉から2ヶ月が経った6月21日、中魚沼郡津南町にある野﨑さん宅を訪れた。整理整頓され統一感のある設備が広がる自宅裏は、少年心が表れた、まるで秘密基地のよう。錦鯉への情熱はさることながら、その素朴さから垣間見える無邪気な姿から、錦鯉愛がひしひしと伝わってきた。
 錦鯉の作り手になるのが保育園からの夢だと語る野﨑さんの、憩いの空間をご紹介。

身近で感じた生産の魅力

遊びから始まった仔採り4年目に

―同町にある鯉和養魚場の髙橋さんとはいつから付き合いを?
野﨑 鯉和さんはここから車で5分ぐらいの場所にあって、自転車でも行けるぐらいの距離にあるんです。一度、祖母の池の鯉が全滅したことがありまして、その翌年、今から6、7年前ぐらいに新たな黒鯉を買うために行ったのがきっかけです。
―それまで鯉和さんの存在は?
野﨑 知らなかったです。ある時、長岡の五十嵐養鯉場さんに密着した「コイビト」というドキュメンタリー番組で、五十嵐さんの野池を髙橋さんが管理されているのを見て、津南にこんな鯉屋さんがあったということを知りました。黒鯉を買いに行ってからは頻繁に行かせてもらうようになって、選別や池上げを一緒にやらせてもらう中で、髙橋さんの作る三色のすごさにハマってしまって。それまではどちらかと言うと昭和のほうが好きだったんですけど、髙橋さんの三色に出会ってからは三色が大好きになりました。
―鯉和さんの三色は十日町の品評会でも毎年のように賞を取っていますからね。ところで野﨑さんは自分で仔採りもされているそうですね。いつぐらいからやるようになったんですか?
野﨑 小学生の頃に祖母の池にいた黒鯉が生んだ卵を、遊びで育てたことから興味を持ち始めました。錦鯉でちゃんと産卵させるようになったのは、今の場所に引っ越してきてからなので3年ぐらい前からです。
―今年はどういった組み合わせですか。やはり三色で?
野﨑 どうせやるなら好きな鯉でやりたいので、髙橋さんの三色でオスとメスがちょうどいて、それにメスの白写りもいたので2つセットしたんですが、白写りのほうは全部カビが生えて孵らなかったので、今年は三色だけになります。ここ3年ぐらいは大きな三色の親がいたので仔採りをしていたんですけど、昨年自分の不注意でpHショックで殺してしまって……かなりショックで、それからはなおさら慎重に飼育するようになりました。

同町にあり錦鯉の師匠と仰ぐ鯉和養魚場の髙橋和典さん

2トンのINTEXプールを使った稚魚池。こちらも春から秋の季節限定で設置される。