愛好家インタビュー 野﨑 昊太さん(新潟)
三色に惚れ鯉師目指す大学生
「地元生産者の系統を将来に」〈前編〉
本誌のハガキに10代からお便りが来ることは稀で、住所が産地・新潟ということも相まって「どういった少年なんだろうか……」そんな気持ちを抱いていた最中、今年行われた第12回国際幼魚品評会のブースで出会ったのが野﨑昊太さんだった。
「ゴールデンウィークに池をリニューアルするんです」。その言葉から2ヶ月が経った6月21日、中魚沼郡津南町にある野﨑さん宅を訪れた。整理整頓され統一感のある設備が広がる自宅裏は、少年心が表れた、まるで秘密基地のよう。錦鯉への情熱はさることながら、その素朴さから垣間見える無邪気な姿から、錦鯉愛がひしひしと伝わってきた。
錦鯉の作り手になるのが保育園からの夢だと語る野﨑さんの、憩いの空間をご紹介。
融雪池が飼育のきっかけに
3歳で錦鯉に触れ新池で加速も
―今年の3月に高校を卒業し、4月から新潟大学に通っているそうですね。それはやはり「錦鯉学センター」(2024年6月号掲載)があったからでしょうか。
野﨑 そうですね。高校2年生ぐらいまでは卒業してそのまま鯉屋さんで働こうか、もしくは水産系の学部がある大学で養殖関係を勉強しようか考えていたんですけど、2023年に新潟大学に錦鯉学センターができたことを知って、3年生の春に急遽方向転換して新潟大学に入りました。ただ、センターとしての活動は各教授の研究室に入る3年生からではあるんですが、以前から長谷川先生(長谷川英夫センター長)とは交流をさせてもらい、良くしていただいています。
―高校を卒業してすぐに鯉屋になろうと考えるほど熱中している錦鯉ですが、どういった経緯で錦鯉を好きに?
野﨑 自宅から近いところに祖母の家があって、そこに雪を溶かすための池があるんですね。当時は黒い鯉やオレンジ色の鯉がいて、きっと餌をあげているうちにはまっていったんだと思います。写真とか見ると3歳ぐらいで錦鯉の里(小千谷市)で撮った写真が出てきたりもしたので、多分その頃から錦鯉が好きだったんでしょうね。
―その池には食用の鯉を泳がせていたわけですか。
野﨑 ひいおじいちゃんが鯉が好きだったみたいで、観賞用で飼っていたんだと思います。

―高校ではドジョウの研究に取り組んでいたそうで、その活躍が地元紙で取り上げられていましたが、錦鯉に関わらず魚全般が好き?
野﨑 いろいろな種類の金魚に手を出してみたり、小型の熱帯魚など観賞魚は一通り飼ってきたんですけど、どれも錦鯉に集中するためにだんだんやめてしまいました(笑)
―いろいろ経験したものの、結局最後に残ったのは錦鯉だったわけですね。
野﨑 というよりかは、初めから錦鯉がメインで、他の観賞魚をつまみぐいしながら遊びで飼っていたという感じで、根はずっと錦鯉でした。
―自分で錦鯉を飼い始めたのは?
野﨑 たぶん5歳とかの誕生日プレゼントで鯉を買ってもらったと思います。近くに農産物の市場があるんですけど、そこで春先に選別ではねられた、いわゆる立てない鯉が安く売られているので、そういった売り出しで買ったのがスタートだと思います。
ここらへんの津南・十日町は新潟県でも特に豪雪地帯なので、融雪池をもつ人が多いんですよね。それで池に彩りをもたせるために錦鯉を泳がせたりと、グレードの低い鯉の需要が結構あるんですよ。
―もともと親御さんも錦鯉に興味を?
野﨑 鯉のお世話はしてもらっていますがほぼ興味は無くて、僕の話を無理やり聞かされているみたいな感じです(笑)
