振興会ニューフェイスインタビュー 鳥居錦鯉・鳥居孝文さん(静岡)

昭和・孔雀に魅了され
立て鯉志向で楽しさ伝えたい

 高齢化などで国内の錦鯉振興会員が年々減少するなか、静岡県富士宮市の「鳥居錦鯉」が、同県支部では約12年ぶりとなる新規会員として今年7月に入会した。

 代表の鳥居孝文さんは山形の大学に進学し、カーレーサーの夢を追い求めるも挫折。その時に思い浮かんだのが学生時代に見た錦鯉だった。広島に渡り生産業務を3年間学び、その後は愛好家として錦鯉を楽しんでいたが、50歳という年齢を機に「今やらなければ一生できなくなる」と再燃。自身の名前をとって鳥居錦鯉と命名し、錦鯉の流通業者として本格的にスタートさせた。長年付き合いのある広島の生産者を中心に、「立てて楽しい鯉」をモットーに、自ら目利きした錦鯉を販売している。

 昭和と孔雀が大好きだと話す鳥居孝文さんに、振興会入会の経緯や今後目指す鯉屋像をうかがった。

山形で見た錦鯉から愛好家に

広島で生産業務の修業も

―今年7月に(一社)全日本錦鯉振興会の会員になられましたが、錦鯉自体は長くやられてきたんですか?

鳥居 そうですね。錦鯉は20代の後半ぐらいから始めて、私の出身は静岡県の磐田市なんですけど、学生時代は山形県の大学に通いながら地元テレビ局のアシスタントのアルバイトをしていたんです。常明寺という鯉屋さんや金魚屋さんが集まる地区で、毎年春になると錦鯉の初競りをやるんですけど、取材でついて行った際に錦鯉を見て、ふと「きれいだな」と思ったんですよね。

―そこで初めて錦鯉を目の当たりにしたわけですか。

鳥居 取材から何日かして改めて行ってみたんですけど、そこに駒林養魚場さん、大木養魚場さん、阿部堅田養鯉場さんの3軒の鯉屋さんがあって、最初は500円ぐらいの安い鯉を買ってみたんですけど、すぐに殺してしまうんですね。当時は飼い方の知識もなかったので、60㎝水槽に玉砂利を入れて、カルキも抜かずに水道水をそのまま入れるような感じで。それから阿部堅田さんのところに通うようになり、ご主人といろいろ話したりしながら鯉を買っては殺すを2、3回繰り返しながら飼育を楽しんでいました。

―そもそもなぜ山形の大学に進学を?

鳥居 自動車のレースをしたかったんですよ。それでサーキットが近くにある大学を受験して、将来はそういった仕事をしたいと思っていました。

―そこありきで大学を選んだわけですか。

鳥居 そうですね(笑)。大学生活を送りながら自動車のレース活動をしていましたが、大学に入って半年後に1年間休学することにしました。様々なアルバイトをするなかで、ある人にレースをしているお店を紹介してもらい、卒業後はそこに就職したんですが、当時は世間知らずで怒られてばかりでなかなか上手くいきませんでした。どうしようか考えている時に「そういえば錦鯉きれいだったよな……」と思い、鯉に携わる仕事ってどうなのかとパソコンで調べてみると、ちょうど広島の小西さん(㈱小西養鯉場)が求人を出していたので、すぐに面接を受けて本格的にやるようになりました。