販売店インタビュー 大阪府/泉州錦鯉 辻川繁由さん

お客と一緒に楽しむ立て鯉
墨と体、将来の姿を思い描き

 大阪府支部に所属する振興会会員は現在5軒(休会1軒を除く)。人口規模に対して少ない印象で、1軒あたりの役割は大きい。
 泉州錦鯉は辻川繁由さんが平成元年に創業。阪井養魚場、大日養鯉場の御三家を中心に取り扱い、品評会に強い鯉屋として愛好家に支持されてきた。近年の鯉の価格高騰は販売店への影響も大きく、「大変な時代になった」と辻川さんはいう。そんな中で、将来化ける可能性のある鯉をできるだけ安価で仕入れ、愛好家に提供。立て鯉を見抜くその眼力は、今なお厚い信頼を得ている。

愛好家時代から一目置かれ

2年11万km走り回って買い付け

―辻川さんは愛好家からプロになったんですか?
辻川 そうです。23〜24歳の頃から愛鱗会に11年か12年入ってました。その頃はええ時代でね、昭和58年ぐらいかな、愛鱗会の近畿大会で優勝したときは、大阪の鯉屋さんが3軒くらいうちに買いにきた。
―愛好家のところに鯉屋が魚を買いにくるわけですか。
辻川 品評会で賞を取ったら本に載るやん。名古屋からトラックでうちに来た鯉屋さんもいました。でもアマチュアの最後の頃は、悔しい思いもしたんですよ。1匹15万で2匹買ったんですが、友達が「毎月5万ずつの月賦しんどいやろ。俺1本買うたろうか」って言うてな、そいつに売ったんよ。それが2年後、大阪の大会で賞を取ってそいつは45万で売りよった。くっそーって思って(笑)。俺はもう1匹の三色を55㎝ぐらいまで飼って、みんなが「ええ鯉や」って言ってくれました。育和さん(育和錦鯉センター/大阪)も買うって言ってくれた。ええ墨してるって。それでその鯉が池から上がってきて、鯉屋になることを決めました。ごっついええ鯉やった。
―鯉の売買も今より比較的「ゆるかった」というか……そういう時代だったんですね。
辻川 まだ高速がないとき、俺の家の近くを通る鯉屋が「今日仕入れに行ったけどええのがなかった。お前分けてくれや」って。そんなんやった。
―愛鱗会の大阪府大会などに出して、辻川さんが良い鯉を持ってるぞというのをみんなが知っていたんですね。当時はどういうところから鯉を買っていたんですか。
辻川 大阪の育和さんが多かったね。小さいのは鳥取の米子とか愛知の弥富とか。弥富の鯉屋はよう行ったな。