谷養魚場・谷 大樹さん(千葉)

変幻自在に化ける魅力で
アートを体現する紅九紋竜

 千葉県成田市にある谷養魚場は、新潟をのぞく東日本ではトップクラスの生産量と流通量を誇り、特に生産する品種数は全国屈指である。

 多品種生産を行うなかで、特に九紋竜は全国展での受賞歴をもつなど同場の得意品種として認知されている。

 そんな九紋竜の系統を生かした新たな品種が、近年の品評会で活躍していることをご存知だろうか。それが紅九紋竜である。3代目として販売全般を担う谷大樹さんに紅九紋竜の魅力や作出についてうかがいながら、九紋竜の誕生の歴史をおさらいしていく。

九紋竜・紅九紋竜の誕生

 まず、紅九紋竜の祖となる九紋竜は今から約90年前の1930年頃、新潟県小千谷市の星野信治氏が「湧き上がる夕立雲に似た細かな模様」を頭部に持つ禿白(鼻先や頭が白い烏鯉)を買い入れ、「九紋竜」と名付けたことに端を発します。

 もともと九紋竜は和鯉タイプを指しており、現在の松川バケのような鯉を九紋竜と呼んでいました。浅黄真鯉の系統から突然変異的に生まれた烏鯉に秋翠を交配したことで、現在のドイツタイプの九紋竜が誕生したとされています。

 一方で、紅九紋竜についての資料はほとんど存在しておらず、1990年頃に紅九紋竜を作っていた新潟県小千谷市真人町の平新養鯉場において、九紋竜に紅白をかけて作った可能性があるとの一文も。また九紋竜に菊水、もしくはドイツ紅白をかけて作出されたとも言われており、はっきりとした誕生の経緯はわかっていません。

 九紋竜の元となった浅黄真鯉は、腹に赤い色素を持つものがいたため、星野信治氏が命名した当時から、緋模様をもった九紋竜も誕生していたと考えられるものの、腹赤は背に乗りにくいという特徴があるため推測の域を出ない。

 品評会においては、1990年頃から多数の九紋竜が出品されるようになったことで、1994年に品種として独立しました。しかし、紅九紋竜はまだまだ数が少なかったため、当初は変わり鯉の部で扱われ、普及した数年後に九紋竜の部に含まれるようになりました。