新時代の美は大鱗(おおごけ)にあり

うろこで遊ぶ『荒鱗鯉』【前編】

 たかが「鱗」、されど「鱗」。変わり鯉の中でも特に好みが分かれるであろう「荒鱗」を纏う品種は、一般的には選別で弾かれるが、近年新潟を中心として新たな美の観点として浸透しつつある。

 それが顕著になったのは、今年行われた第53回全日本総合品評会だろう。小千谷市・㈲AO・あおきや作出の「黄竜」が、優勝という評価を得たのである。これは錦鯉の新時代到来とも言えるのではないだろうか。

 そんな注目が集まる「荒鱗鯉」を副産物としてではなく、ひとつの品種として作っている生産者3名に話を聞いた。

 前編では長岡市の五十嵐養鯉場、後編では小千谷市の㈲AO・あおきやと魚沼市の丸仙小林養鯉場の取り組みを紹介していく。

五十嵐養鯉場・五十嵐俊將氏に聞く

荒鱗の火付け役『ゴジラ』誕生

―新潟県内で荒鱗の変わり鯉と言ったら、ほとんどの生産者が五十嵐養鯉場と答えるぐらい荒鱗で有名な五十嵐さん。以前の取材(2021年7月号)でも作出について少し触れていましたが、取り組み始めた経緯を改めて教えてください。

五十嵐 うちでは親父の代から生産鯉のほとんどが御三家で、販売先が東南アジアや中国が中心だったんですど、少しずつ中国の購買層が変わってきたというか、当歳2歳が販売の中心という流れに変わったときに、御三家は古い血筋を使って、大きくなって長持ちするような鯉を作っているから、そういった鯉って当歳2歳だとそんなにきれいじゃないんですよね。4歳5歳とある程度伸びて、三色で言えば一番大事な肩の墨が出たりとかするので、当歳2歳だとなかなか売りづらいわけです。

 それに中国は輸出規制とかもあって、それでヨーロッパなどのお客さんに受ける鯉を作っていかなければいけないということで、ドイツ鯉の変わりもの、主に落葉や嘉瀬さん(越路養鯉場)のメタリック落葉とか、ああいった鯉が好きだったので手始めに作り始めたんです。

五十嵐養鯉場・五十嵐俊將さん

―当初から大きい鱗を意識して作ろうと?

五十嵐 あまりそこのこだわりはなかったんですけど、うちはずっと大型化の鯉をやってきたので、どうせ作るのであれば大きくなるような変わり鯉を作りたいと思い、親鯉を入れたりしていました。

―変わり鯉に着手し始めたのは、父親から引き継いだタイミングぐらいですか。

五十嵐 そうですね。9年か10年前になるかと思うんですけど、ちょうどその頃に長岡市錦鯉養殖組合の青年部長になって、錦鯉の普及だとかで一般の人を相手にする機会が増えたときに、どういうふうに錦鯉を見せれば喜ばれるか考えて。上見の錦鯉を水槽で横から見た際、御三家ななんかは案外つまらないというか、例えば丸天四段の紅白を入れても半分しか見えないわけです。そこで、いろいろな変わり鯉を入れると側線の荒鱗がすごく映えることに気付いて、さらにLED照明を当てると雰囲気も変わるから、そこで荒鱗の面白さや可能性を感じて本格的に取り組むようになりましたね。

―五十嵐さんの作る荒鱗鯉は銀鱗が乗るタイプが多い印象ですが。

五十嵐 やっぱり銀が乗ったほうが派手ですし、通常の銀鱗は側線の下になるほどベタな銀になってあまり目立たなくなってしまうけど、荒鱗であればより光るのではないかと思って。ドイツメタリック落葉からできた二代目のオスに和鯉の銀鱗落葉のメスをかけたところ、出現率は少なかったものの銀の乗った荒鱗ができたんですよ。それを野池で立てて販売池に入れたら特に欧米の方が食い付いて、背びれの脇の鱗に乗った銀を「ダイヤモンドバック」といい、目を輝かせながら喜んで持って行ってくれて(笑)。

―そんな銀鱗が特徴的な、五十嵐養鯉場を代表する荒鱗鯉のゴジラはどのようにしてできたんでしょうか。

五十嵐 ゴジラができたのはたまたまというか、採ったものの一部としてできてきたので、決して狙って作ったわけではないんです。和鯉の銀鱗をかけていく中で、銀鱗にも表面的なものと内面的に出るもの様々な系統があるので、荒鱗鯉で表現しようとしたときに表面的な銀だとぼやけてしまうから、どういった銀鱗が一番いいのか考えたときに、トータルで全部の要素を持った銀がいいんだと。鱗の表と裏、そして年輪の形に沿って光る。さらにはダイヤの銀も入るような。ガチャガチャしたように見えるかもしれないけど、ギラギラ光って長持ちするものを目指したかったんです。

五十嵐養鯉場を代表する荒鱗鯉『ゴジラ』