ブリーダーズインタビュー ㈱別府養魚場 井上信広さん・隆治さん(愛媛)
銀鱗三色に力入れながら、
全国目指して大型鯉作出も〈前編〉
新潟や広島、福岡などのいわゆる「産地」とそれ以外では、訪れるバイヤーや愛好家の数に大きな差がある。
㈱別府養魚場は周辺に他の生産者がいない「一軒鯉屋」だ。客を呼び込むためには魅力ある鯉作りが欠かせない環境で生産に取り組み、近年は大手流通業者の取り扱いで全国大会での上位入賞が増えてきた。銀鱗三色を筆頭に、大正三色、光り無地ものなどが高評価を得ており、ライバルの多いこれらの品種で今後さらなる飛躍を予感させる。振興会四国地区長でもある兄の信広さん、㈱阪井養魚場での勤務経験を自社の生産に還元し、より高みを目指す弟の隆治さんに話を聞いた。
販売店を閉じ生産専業へ
阪井系を柱に井上兄弟が作る
―以前はここ(伊予市双海町)の養魚場とは別に、販売用の店舗があったんですよね。
信広 そうです。松山市内の中心部に。
―別府養魚場という名前についてですが、もともと始めたのは井上さんのお父さん(勝之さん)ではなく、別の方だそうですね。
信広 父の叔父の別府さんという方が、昭和36年に看板を上げたんです。それを父が引き継いだという形ですね。叔父さんの子供は三姉妹、娘さんしかいなかったので、うちの父しかやる人がいなかったようです。
―それでお二人は、信広さんのほうが先にお店に入ったんですか。
信広 そうですね。僕は松山大学に行っていて、当時からバイトでずっと手伝っていました。卒業してそのまま入ったという感じです。
―隆治さんは以前は阪井養魚場に勤めていたんですよね。
隆治 はい。大学が広島で、広島の鯉屋さんでアルバイトをしながらその流れで。
―それが阪井さん?
隆治 いや、バイトしていたのは安愛魚園(広島市)さんだったんですけど、社長の谷岡さんが阪井に行けって。夏休み中に2か月くらい阪井さんでアルバイトさせてもらって、それが楽しかったので卒業後に就職しました。
―いずれ家に入る前提で阪井さんに行ったんですか。
隆治 その頃はあまり考えてなかったですね。昔はうちはあまり生産してなかったので。どちらかというと金魚屋、熱帯魚屋のような……小売りが中心で。生産はちょっとやっていたぐらいです。

